聖契神学校2024年度「霊性の神学Ⅱ」クラス作成
監修 吉川直美
聖契神学校の「霊性の神学」クラスでは、毎年、学生がアドベント(待降節)からクリスマス(25日まで)の黙想を作成しています。
今年度は、アドベント2週目にあたる12月11日から12月25日の黙想を作成しました。
アドベントカレンダーのように0 時にアップしていきますので、黙想のために用いていただければ幸いです。
なお、個人名は記載しておりませんが、著作権は「霊性の神学」クラスにありますので、無断転載、引用等はご遠慮ください。
12月25日(水)
今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。あなたがたは、布にくるまって飼葉桶に寝ているみどりごを見つけます。それが、あなたがたのためのしるしです。」
聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会
この朝、わたしたちの救い主であるイエスさまがお生まれになりました。
あらゆる悲しみや苦しみからわたしたちを助け出し、この世界に喜びをもたらす救い主です。
あなたは今どのような気持ちの中にあるでしょうか。
クリスマスに胸が喜び踊っているでしょうか。
はたまた疲れて休みたいと思っているでしょうか。
クリスマスを喜びたいとは思っているけど、
正直今日もいつもと変わらぬ日常で、自分とは関係ないことのように思っているでしょうか。
しかしイエスさまは、そんな”あなたがたのため“の救い主です。
どんな状況の中にあっても、イエス様はそんなあなたのために来てくださったのです。
イエスさまは全世界の王であるにも関わらず、
宮殿や豪邸ではなく馬小屋で生まれ“飼葉桶”という最低な場所に寝かされていました。
それはどんな人でも分け隔てなく、全ての人のための救い主であるというしるしです。
今日はクリスマス。
わたしたちのために来てくださったイエス様の誕生日を、全世界一緒にお祝いしましょう。
12月24日(火)
このすべての出来事は、主が預言者を通して語られたことが成就するためであった。
「見よ、処女が身ごもっている。そして男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」それは、訳すと「神が私たちとともにおられる」という意味である。
聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会
「神が私たちとともにおられる」とは、どういうことでしょうか。
どんなに寂しくでも
どんなに苦しくても
どんなに悲しみが深くても
そこに神がおられるのですから
私たちは、闇のような孤独に悩む必要はありません。
では「神がともにおられる」なら、何が起こるのでしょうか。
インマヌエルの神は、“愛”なるお方です。
私たちを愛するがために、ひとりごをお与えくださったほどの愛。
愛である神がともにおられるなら、私たちにも愛が生まれます。
神が私を愛してくださるその愛で、私も他者を愛することができるようになるからです。
神の愛は力強く、平和をもたらす愛です。
神は、私たちとともにいるというみわざを通し
私たちに、希望を与え続けてくださいます。
神は、永遠に変わらないその愛の中で、私たちを大切に育んでくださるのです。
12月23日(月)
ヨハネの福音書 3章16節
神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会
ひどく落胆してこの世界から消えてしまいたくなった日、
真実の愛などどこにもないと絶望した夜、
悪意と呪いと疑いの言葉が渦を巻き、うわーんうわーんと私たちを取り囲む。
「おまえなど価値がない」「神がほんとに愛しているとでも?」
待って。
深呼吸して。
ゆっくり、ゆっくり、ことばのひとつひとつを噛みしめるように、口に出して。
「神は、」
「実に、」
「そのひとり子をお与えになったほどに、」
「世を愛された。」
──こんなどうしようもない世を
──愛するわが子のいのちと引き換えにされたのだ。
耳を澄ませれば聞こえる。この世界のただ中で、主が語られている真実
。
「それは御子を信じる者が、」
「ひとりとして」
「滅びることなく、」
「永遠のいのちを」
「持つためである。」
──「永遠のいのちを持つため」……心の奥底が震える。
──そうだ。私は地上のいのちのためだけに生きているのではない。
──神はひとり子を与えてくださったのだ。私の尊さを誰が否定できるだろう。
主のみことばを味わって、噛みしめて、今日も明日も私は生きよう。
12月22日(日)
「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。私たちはその方の星が昇るのを見たので、礼拝するために来ました。」
聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会
偉大なおさな子は、いま、どこに?
私たちは、ユダヤの星、新しい王を礼拝するために、東の国からエルサレムへと旅してきました。私たちが探し求めているそのあかちゃんは……神のひとり子としてお生まれになったメシアです。み子はやがて、全世界の救い主になられるはずです。
王の王、イエスさま。礼拝するのにふさわしい栄光に満ちたメシアは……イエスさましか存在しません。ユダヤ人ではない私たちにとっても、唯一まことの王はあなただけです。ご降誕をお祝いし、預言どおりベツレヘムの地にきてくださったあなたを、私たちは、いま、この場所で礼拝します。
12月21日(土)
「いと高き所で、栄光が神にあるように。地の上で、平和がみこころにかなう人々にあるように。」
聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会
「平和」とはなんでしょう。
世界全体にただよう緊張感の中、この言葉に重みを感じずにはいられません。
平和についてあらためて調べてみると、「やすらかにやわらぐこと」と出てきました。
今、わたしの心はやすらかにやわらいでいるでしょうか。
わたしたちは一時的に休まる時はあっても、
なにかのきっかけですぐに心はざわめき、平和の状態から離れていってしまいます。
そして一人一人の平和ではない心が集まる時、
負の連鎖が起こり、世界に争いが生まれていくのです。
しかしイエスさまがお生まれになります。
この方は、天に栄光を地に平和をもたらすために来られます。
イエスさまを受け入れた時、その心は変えられ、平和の連鎖が生まれていくのです。
今日わたしたちはどのように生きていきましょうか。
負の連鎖ではなく、イエスキリストによって平和を作っていける者になれますように。
12月20日(金)
夫のヨセフは正しい人で、マリアをさらし者にしたくなかったので、ひそかに離縁しようと思った。彼がこのことを思い巡らしていたところ、見よ、主の使いが夢に現れて言った。「ダビデの子ヨセフよ、恐れずにマリアをあなたの妻として迎えなさい。その胎に宿っている子は聖霊によるのです。マリアは男の子を産みます。その名をイエスとつけなさい。この方がご自分の民をその罪からお救いになるのです。」
聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会
聖書が「正しい」と記すヨセフはどのような人物だったのでしょうか。
これまでずっと正しく生きてきたヨセフの婚約者マリアが
結婚前だというのに、そのお腹に子を宿していることがわかりました。
石打ちの刑に処せられるほどの重罪です。
しかしヨセフは、マリアを密かに離縁しようとします。
ヨセフがマリアを糾弾すれば、それはマリアの死に直結する・・・
ヨセフにはできない選択でした。
ところがそのヨセフのもとに、主の使いが現れ、驚くべきことを告げたのです。
マリアの妊娠は聖霊によるもので、その胎に宿っている子は、ご自分の民をその罪から救うのだと。
ヨセフは、このことばを信じました。
そして生まれてきた子に、イエスと名付けたのです。
正しい人ヨセフは、“救い主”の養父になりました。
12月19日(木)
「見なさい。あなたは身ごもって、男の子を産みます。その名をイエスとつけなさい。その子は大いなる者となり、いと高き方の子と呼ばれます。また神である主は、彼にその父ダビデの王位をお与えになります。彼はとこしえにヤコブの家を治め、その支配に終わりはありません。」
聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会
私たちも、約束を初めて聴いたとき
心が震えたではありませんか。
「見なさい。あなたは聖霊を宿しています。聖霊はイエスの霊です。
その方は大いなる者で、いと高き方の子ですが、人の子としてお生まれになり、十字架にかけられました。
しかし、死からよみがえられて天に昇られ、今も父なる神と共に全世界を治め、とこしえに支配しておられます。
この方は、死から解き放つ私たちの救い(イエス)となり、いつまでもあなたがたとともにおられるために聖霊を与えてくださったのです。」
今日の一日も
聖霊の鼓動に呼吸を合わせて
聖霊がすこやかに育つように
一歩、一歩
12月18日(水)
ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。この方は恵みとまことに満ちておられた。
聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会
ヨハネは主イエスと共に歩んだ日々を通して、このお方こそ世界の創造主であり、永遠に治める王であることを知りました。このお方は神であるにもかかわらず、肉体をとって人間となり、私たちのただ中に住んでくださったのです(参照ピリピ2:7)。
ヨハネはまさにこのお方の栄光を見たのです。
彼自身の目で、確かに見たのです。
受肉という出来事は、神としてのプライドさえも打ち捨ててくださった主の大いなる愛によって成し遂げられました。
今、主イエスを直接見ることはできなくても、ヨハネの証言は私たちに確信と希望を与えてくれます。
栄光に満ちた主を、日々見上げて歩んでいきましょう。
12月17日(火)
それゆえ、主みずから、あなたがたに一つのしるしを与えられる。見よ。処女がみごもっている。そして男の子を産み、その名を『インマヌエル』と名づける。
聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会
私たちの救いの名は「インマヌエル」──共におられる方
胎内で母の声を聴く前から共におられた方
今、この瞬間、共におられる方
死の先まで、永遠に共におられる方
自分の存在が無価値に思える夜も
罪が露わになって友が立ち去るときも
生きるのに疲れて立ち上がれない朝も
「いつまでもわたしが共にいる」と 呼びかけてくださる
あなたに私の声は届いていますか?
私もあなたと共に居たいのです
貪欲な狼ではなく、あなたの羊として
あなたに膝を折る、小さなしもべとして
12月16日(月)
「あなたの日数が満ち、あなたが先祖とともに眠りにつくとき、わたしは、あなたの身から出る世継ぎの子をあなたの後に起こし、彼の王国を確立させる。彼はわたしの名のために一つの家を建て、わたしは彼の王国の王座をとこしえまでも堅く立てる。」
聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会
ダビデにとって主の約束は信じられないほどのものでした。
『神、主よ、私は何者でしょうか。』(18節)
ダビデは、主の約束をありのままに受け止め、実現してくださることをすべて信じました。
そして主は、およそ千年の時を経て、主イエスを通してこの約束を実現されました。
ダビデの大胆な祈りは、私たちにも与えられています。
信じられないほどの恵みにあずかるとき、「主よ、あなたの恵みにあずかる私は何者でしょうか?」と尋ねたくなるでしょう。しかし主は、それほどまでに私たちを祝福してくださり、恵みの約束を必ず実現してくださるのです。
心から期待して、祈りましょう。
12月15日(日)
「あなたはわたしの子。わたしが今日、あなたを生んだ。」
聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会
天の父は、地上に生まれたメシアに向かって「あなたはわたしの子」と歓喜の声をあげられました。愛するひとり息子よ、わたしがお前を生んだ。今日からわたしはお前の父親なのだと。
そう。メシアは神の子です。神ご自身が最も愛するひとり子……それがメシアにほかなりません。神のひとり子は、愛という神の行為によって……人としてお生まれになったのです。
強大な権力をもつローマ皇帝がユダヤを支配していた時代。しかし、神はやがてこのメシアを「全世界の王」として、預言どおり即位させるのです。マリアの身ごもったイエスさまが、神のひとり子、待ち望んだメシアであるという祝福に、あらためて思いを寄せましょう。
12月14日(土)
あなたのみことばは私の足のともしび私の道の光です。
聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会
小学生の頃、わたしの家の門限は夕方五時でした。
12月の5時というのはもう真っ暗で、心細さを感じながら必死に自転車をこぎながら家に着くと、窓からは光がもれていて、食卓の明るさと暖かさに大きな安心感を感じたものです。
私たちが生きるには光が必要です。
闇の中では一歩も動くことができません。
しかしどんな生き方が正解で何が不正解か分からないような現代です。
そんな時代において、生きるための光とは一体なんなのでしょう。
聖書は言います。
神様のみことばが私の道の光なのだと。
気づけば今年も12月です。
日も短くなり寒い季節となりました。
そんな時期だからこそ、みことばというともしびに目を向けてみませんか。
夜の闇にたたずむのではなく、光がこぼれる窓の内側に入っていきませんか。
誰よりも私たちを愛してくださる神様の食卓に「ただいま」と、帰っていきましょう。
12月13日(金)
「あなたの神、主はあなたのうちから、あなたの同胞の中から、私のような一人の預言者をあなたのために起こされる。
聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会
神は「あなたのため」に、メシアを起こすと約束されました。私(モーセ)のような一人の預言者とは、特別な預言者、すなわち「メシア」を意味しています。
そのおかたはナザレのイエスにほかなりません。イエスの弟子たちは、モーセの律法に書かれているこの「預言者」がナザレの人で、ヨセフとマリアの子「イエス」であるという事実を、驚きとともに受けとりました。
主の約束は「あなたへの愛」です。すべてがあなたのためだったのです。主は待望のメシア、イエスさまを、あなたがいるその場所に送り届けてくださいました。時空を超えた「神の愛」を、驚きとともに受けとりましょう。
12月12日(木)
ひとりのみどりごが私たちのために生まれる。ひとりの男の子が私たちに与えられる。
主権はその肩にあり、その名は「不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君」と呼ばれる。
その主権は増し加わり、その平和は限りなく、ダビデの王座に就いて、その王国を治め、
さばきと正義によってこれを堅く立て、これを支える。
今よりとこしえまで。万軍の主の熱心がこれを成し遂げる。
聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会
「私たちの未来には、希望などない・・・。」
そんな、絶望という闇に覆われた民に、預言者イザヤは〈希望〉を語りました。
イザヤの語る〈希望〉は、ひとりの男の子の誕生の知らせです。
なぜ、弱さの究極と言えるような存在の“みどりご”の誕生が〈希望〉なのでしょうか。
それは、その子の生まれることは、万軍の主の私たちを愛する熱情からなされることだからです。
万物の主権者であるお方が、私たちのために、弱い存在の赤子としてお生まれになりました。
そして、そのみどりごが
「不思議な助言者」として、私たちを導き
「力ある神」として、私たちを守り
「永遠の父」として、私たちを愛し
「平和の君」として、私たちの間に、平安をもたらすのです。
「私たちの未来には〈希望〉しかない・・・」
万軍の主は、私たちを愛さずにはいられない。
その永遠に変わらない熱心な愛が、私たちの希望です。
12月11日(水)
『ベツレヘム・エフラテよ、 あなたはユダの氏族の中で、あまりにも小さい。
だが、あなたからわたしのためにイスラエルを治める者が出る。
その出現は昔から、 永遠の昔から定まっている。』
聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会
ミカは、イスラエルの指導者たちの罪によってもたらされる過酷なさばきを宣言しました。しかし、その絶望の中にも希望の光が差し込んでいました。
『イスラエルを治める者』の出現——ご自身の民を呼び集め、敵の手から贖い出す王が現れる——その希望は何百年もの時を超えて、東方の博士たちによって見出されたのです。
主は、避けることのできないさばきの中にも、一筋の希望の光を備えておられます。
その一筋の希望の光を見失わないよう、絶えず祈り求めていきましょう。